マミーズ誕生物語

「日本一ハッピーな保育園をつくりたい」という思いを胸に、
走り続けるマミーズファミリー。
そのはじまりは、代表増田の育児の悩みがきっかけでした。
さまざまなピンチを乗り越えてきた、
山あり谷ありの全力ストーリーをご紹介します!

VOL.1 理想と現実

すべてを一人でこなそうとしていた子育ては、本当に大変でした。ついに病気をしてしまい、街の託児所を訪ねてみたものの、中の様子が見られないことに不安を覚え、とうとう娘を預けることができなかった私。
そんな中、近くに住む友人が「2人とも預かってあげるから、病院に行っておいでよ。ついでに買い物もしてきたら?」と声をかけてくれました。本当に久しぶりに、ひとりで街を歩いていたら、ふと「私にも、前にはこんな時があったんだ…」とハラハラ涙が出て止まりませんでした。
その帰り道、気づきました。「そうだ!こうやって、私のように困っている人がいるはず」。友人たちに声をかけて、託児サークル「マミーズファミリー」を始める決意をするのです。

VOL.2 ママは美容室に行けない?

アンケートを受けて、「美容室」に狙いを定めた私たち。すると、運良く1店舗目で「あなたたち、面白そうね。うちのビルが空いているから、貸してあげるわ」という美容室オーナーに出会えました。無事に店舗も決まり、時間制託児ルーム「キッズパオ」が誕生したのです。
その年の冬、「寒くて外に行けないから、ウチに来てほしいの」という一本の電話がありました。「なあんだ!お家で保育するという方法もあったなぁ」と、これを機にベビーシッターの勉強をスタート。産前産後のお手伝いをする産褥サービスは特に好評でした。それまで自分の親以上に歳の離れた家政婦さんに気を使っていたママに、涙を流して喜んで頂いたことが忘れられません。私たちもちょっとだけの先輩なのにね。

VOL.3 大ピンチと決意

度重なる試練にも負けず、いつか事業と認められるようにゼッタイ頑張ろう!と心に誓いました。その頃、とある働くママとの出会いから、24時間対応できる保育システムを目指すことにしました。何とか融資してくれる銀行と物件の目処が立ったものの、さらに大きな壁が。一緒にやってきた友人たちから「これ以上は一緒にできない」と告げられたのです。理由は、主婦の域を脱するから。
加えて、わが夫の反対も。「主婦の立場でなら何をしても良いけれど、それを越えることはまかりならん」というのが彼の主張で、とうとう「私はあなたの中だけでは生きられない!」と大宣言してしまうのです。その後、毎日のように話し合いを続け、夏の終わりにようやく新たなビルへの移転が決定。新しい船出です。 

VOL.4 パオのパパさん誕生

新しくできた「キッズパオ」に少しずつ入園希望者が増え始めた頃、私は睡眠もあまりとれずに働き通しでした。そんなある日突然、フラフラの私を見かねた夫が「もう見てられん!」と、なんと会社を退職!そこから、夫婦の二人三脚が始まりました。
亭主関白だった夫が「できる人ができる仕事をしたら良い」と、ワゴン車で子どもたちを送迎したり、給食を作ってくれたりと、見違えるほど変貌しました。スタッフやお母さんたちからは「パオのパパさん」と呼ばれるようになり、パオになくてはならない存在に。その後も、クラシックコンサートでの託児サービスや、企業との提携サービスなどを実現させたのは、彼のアイディアと営業力でした。頼りになる“マミーズファミリーの応援団長”です。

VOL.5 原点

仕事が軌道に乗り始めた頃、妊娠が発覚。嬉しい気持ちよりも先に、目の前が真っ白に。ベビーシッターの養成講座や研修会など、大きな仕事を引き受けたばかりだったのです。さらに、ドイツ留学も控えていました。「今、休むわけには・・・」「36歳という年齢もある・・・」。
迷っているうち、切迫流産で病院へ運ばれてしまいました。そこへ娘二人が「ママ、赤ちゃん生まれるの!?」と満面の笑みでやってきたのです。この子たちを悲しませたくない。さらに「何ためにベビーシッター会社をしているんだい?育児中でも、母親でも、夢を実現できるように、手伝うためじゃなかったのかい?まずは自分で実践せんかい!」と夫の励ましもあり、まず私が夢を実現しようと、産む決心をしました。

VOL.6 出会いと夢の実現

スピーチ後に声をかけていただいた「お菓子のハタダ」社長の畑田氏との出会いをきっかけに、ショッピングセンターに時間制託児ルームを開設することとなりました。『子どもを預ける抵抗感と罪悪感をなくして貰う』という夢に一歩近づいたのです。
別の機会には、高知医療センターの院内保育所運営業者を選定する大きなプレゼンに参加することに。プレゼンに参加していたのは大手有名企業ばかりで、出番を前に心臓はバクバク・・・。ふと鞄に目をやると、そこには1枚のハンカチが。覚悟を決め、保育園でやるのと同じようにハンカチを使った手遊び歌と手品を披露しました。「ハンカチ一枚から子どもが感動する保育をしたいと思います!」プレゼンは大成功を収めました。

VOL.7 ドイツでの衝撃

日本だけでなく、外国の保育にも関心があった私。壁面飾りの代わりに季節の花を生けたり、羊毛のおもちゃを取り入れたりするシュタイナー幼児教育を知り、自分自身でその本流を体験するべく本場ドイツへ留学することを決意しました。
初めて訪れたドイツの幼稚園は本当に素晴らしいものでした。シュタイナー建築による幼稚園では光の入り方までもが研究されており、子どもを取り巻く洗練された環境に感動!子どもたちとの接し方も、日本とはまるで違いました。先生がひなたぼっこしている側で、子どもたちが思い思いに遊んでいるのです。行事や時間に追われている日本に比べて「なんて優雅なの!」と感激せずにはいられませんでした。この留学以来、ドイツは私の保育の源流となったのです。

VOL.8 正しいことから、楽しいことへ

一緒に働く人が増えてくると、時々もっと自主的に動いてほしいと感じることも。そんな折、大学院での学びでダニエル・キム博士の「成功循環モデル」を知りました。想いを押し付けすぎてしまうと、社員は自ら動かなくなってしまう・・・保育と同じだと腑に落ちました。
そこからは経営の考え方を一新!以前は、細かくマニュアル化したり、管理することを大事にしていましたが、一人ひとりの仲間を信頼して任せるようにしました。社長の方針をただただ聴くだけだった社員総会は、「マミフェス」へと名前を変え、それぞれがめざす目標をワイワイと語り合う場に生まれ変わったのです。正しいことから、楽しいことへ。マミーズファミリーはこれからも進化していきます。